田中 正造

一、栃木縣上都賀郡足尾銅山鑛毒の慘酷なる事實は、今尚其被害地なる栃木群馬茨城埼玉の四縣下人民より提出しつゝある鑛業停止請願に依り又群馬縣々會も鑛業停止すべきを内務大臣に建議を爲したるを以て明なり。是れ一國の大問題にして一日たりとも等閑に附し去るを得ず。然るに多年政府の之を等閑に附し去る理由如何。
一、明治廿四年十二月十八日本員等は國務大臣に向て足尾銅山鑛毒被害に關する當局者の職責怠慢を質問せり。不幸にして第二議會解散に會ひ、其答辯書は新聞紙上に於て之を見たり。曰く其被害の原因に付て未だ確實なる試驗の成績に基ける定論あるに非ず。曰く、粉鑛採聚器を新設し一層鑛物の流失を防止するの準備をなせりと。然るに爾來鑛業の増加は益々甚しく、被害の區域愈々擴大せし事實あるは如何。

 私は皆樣、昨年十月一寸東京へ參つて、一夜島田三郎君の所に往きまして、夫から歸りまして、又直ぐ出て來て堺さんの由分社へ一晩御厄介になつた切り東京へ出て參りませぬ、是非東京へ出て來なければならぬ問題がありまするのでございますけれども、それは出て參れない、出て參れない計りでなく、早や書面に書いて御心配下さる御方々へ御知らせ申すことも出來ない、何でいけないかと申しますと、先づ一口に閑がない、色々、郵便が不便だの書いて呉れる人が少ないと云ふこともございますけれども、詰り手紙を出す閑がない、それですから一向御知らせ申すことも出來ない、中には政治家に御訴へ申すこともあるですが、帝國議會が開けて居る時も一日も出て來ないようなことで、どうも如何にも切迫して居る境遇でございます、今日もどうしても上り兼ねますのでございますけれども、今日は色々と吾々を御助け下される所の諸君の御集會である、繰合して出て幾分の事情を御訴へを申したり、又是迄御心配下すつた御禮を申すのも必要であるだらうから、一寸でも出京したら宜からうと云ふことを加藤安世君より御注意もございましたから出ましてございます、誠に社會の爲に御盡しになる所の諸君に斯の如き一箇所に於て御目に懸れると云ふことは、私に取りましては、如何にも有難いことに存じます、幸ひ御目に懸りましたから少々宛申上げやうと考へますが、諸君が御承知の如く今日の世の中は一朝一夕の席上の御話で盡せると云ふことは素より爲せぬでございますけれども、少々宛なりとも申上げて、さうして己の知つて居る所丈けの一局部の御話でも之を申上げまして皆樣の御救ひを頂き、且又御參考に供します。

一、抑谷中村ハ古来天産に富み関東中其比を見ざる豊饒の沃土なり。二十年来鉱毒のために戸口漸々減少せしと雖も、現在尚ほ三百九十六の戸数と二千五百の人口とを有し全村の総価格一千五百万円以上に達せり。若し唯一の堤防修築を怠らざれバ前途洋々として頗る多望なるものあり。然るに此豊饒なる一美村ハ之を羨望するものゝ私慾を恣にせんがために当路の有司をして陰険なる策略を弄せしむるに至り、名を修築工事ニ借りて却て堤防を毀損崩壊して脆弱ならしめ、波除けの柳樹を濫伐して破堤を赤麻沼の水波に打たしめ、故らに堤防をして風浪に堪えざるものゝ如くし遷延徒に日月を費して其完成を計らず、年々全村をして水害を被らしめ以て村民の窮苦を来たせり。是れ実に明治三十五年以来の事に属す。退て想ふに谷中村買収の動機ハ公共の利益を計るがために非ずして実に鄙人の私慾を全ふせんがために外ならざるなり。是れ公然の事実と裏面の消息と相待ちて炳然又疑ひを容るゝの余地なし。更に次項他村との関係の下に之を弁明せん。